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さいたま市に竜が出現!?「竜神伝説と見沼」

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埼玉県さいたま市見沼区には、県内の小学生が社会科の授業で習う「見沼通船堀」と「竜神伝説」があります。さいたま市のPRキャラクターが「つなが竜ヌゥ」であり、見沼田んぼの主であった竜の子孫という設定となっています。「ヌゥ」という名前も見沼から取られているそうです。そのため、見沼区には「見沼通船堀」や「竜神伝説」にまつわる史跡や記念碑などが数多く設置されています。駅前に写真のような竜の石像が設置されているほどです。



今回の観光ツアーの出発地点はJR武蔵野線の東浦和駅です。東浦和駅は住宅街が広がっており、小さなスーパーや飲食店が立ち並んでいる地域です。



東浦和駅から埼玉高速鉄道の浦和美園駅方面へと歩いて行くことにしました。駅前だけでなく各地に「竜神伝説」について書かれた看板が設置されています。要約をすると見沼に生息していた竜は、この地域の守り神だったのですが、見沼が干拓されることになり竜が天へと帰って行ってしまいました。全部で19の竜神伝説の地がありますので、この地を巡り歩くだけでも楽しい散策になります。



東浦和駅から右手方面へ歩いて行くと、まず見えてきたのは「附島氷川女体社本殿」です。さいたま市には「氷川女體神社」があり、その神社と関連性のある本殿です。はるか昔はこの地まで海が侵食しており、崖のような場所でした。そのため附島という名前が付いていると考えられていますが、正確な創建年代などは判明していません。設置されている看板に「今でも住民の三分の一は吉田姓である」と書かれていたので、周辺の住宅の表札を見て歩いたのですが、見た限りでは一軒も「吉田家」がなく時代は移り変わっているのかもしれません。



そのまま歩いて行くと次に見えたのは「稲荷社」です。江戸時代に8代将軍の徳川吉宗が命じて、見沼の地を干拓することになったのですが、その際に見沼代用水が設置されて舟運にも使われるようになりました。そのため住民が増えて「稲荷社」が創建されたと考えられています。僅か300年程前のことなのですが、この地にはあまり書物が残されていないのか、不明な点が多いようです。



見沼代用水という名前の由来は、これまで農業用水として見沼の水を使用していたのですが干拓をしてしまったため、その代わりとして利根川から引き込んだ用水路ということで「代」用水と名付けられました。見沼通船堀は見沼代用水と芝川に高低差があったため船が通ることができず、この問題を解消するために水門を設けて水量を調整し船が通れるようにしたものです。その名残を今でも至るところで見られ、その周辺を歩いていると映画などに出てきそうな木製の橋がありました。



渡ってみることにしたのですが、よく見ると橋の端が腐って削れているではありませんか。少しドキドキしながら、ゆっくりと通過しました。



浦和美園まで川沿いを歩いて行こうとしたのですが、何と行き止まりになっていました。調整池を作るということで江戸時代だけでなく現代でも、この周辺は整備が進められているようです。




少し遠回りをすると人や自転車が通行できるガードが見つかりました。そこには不思議な看板が設置されており、「やっと恋人が出来た人 とかけて 不法投棄ととく その心は」と書かれていたのです。答えは次の写真(しゃがんでくぐる必要がある低いガード)の下に書いておきます。



「もしすてられたらと、思うと」と答えが書かれていました。うまいかは別として「不法投棄禁止」と赤文字で警告する看板だけでなく、ウイットにとんだ看板を設置することに面白さを感じました。
 

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本記事は2015年06月25日時点での情報ですので、場合によっては適用されないこともあります。あらかじめご了承ください。