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ふるさと"幸手宿"歴史探訪コースを実際に歩いてみた!

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桜の名所である「権現堂堤」がある埼玉県幸手市。桜まつりの時期に訪れたのですが、せっかくならばと市内最古の寺の一つである「宝持寺」なども散策してきました。その時に役立ったのが「ふるさと"幸手宿"歴史探訪コース」のマップ(http://www.city.satte.lg.jp/ka/kenkou-fukusi-bu/kenkou-zousin/road-map/road1/road01.htm)。埼玉県では県内各地のウォーキングコースを一覧にしたサイト(https://www.pref.saitama.lg.jp/a0704/undo/walkingcourse.html)を設けていますので、ぜひ観光に役立ててみてください。スタート地点と歩行距離が書かれていてとても分かりやすいです。



東武鉄道日光線・幸手駅をスタートして約6キロのコースなので、ゆっくり見て歩いても数時間で走破できますよ。最初に訪れたのは天神様が祀られている「天神神社」。今はなき幸手城の鬼門に位置する場所に建立された神社であり、「幸手城の守護神」とも呼ばれています。とても大きな絵馬が拝殿前に飾られているのが印象的。



続いては「満福寺」であり、領主であった幸手一色氏が建立したお寺です。「幸手」という言葉の語源は諸説あり、アイヌ語であるとか「薩手が島」から名付けられたとされていますが、いずれにせよ縁起の良い都市名です。このお寺では夏に「四万六千日縁日」が行われており、この日に参拝すれば約126年分のご利益があるとされています。



幸手の総鎮守府となっている「幸宮神社」です。約400年の歴史があって、幸手の地を長いこと見守ってきました。こちらの神社も、とても幸せに慣れそうな縁起の良い名前ですね。



「橘守部の碑」と「正福寺」をまわった後に到着したのが、江戸の将軍が休憩所として利用したという「聖福寺」です。幸手市は江戸時代に日光街道沿いの幸手宿として発展した場所であり、この四脚門は将軍や例幣使という立場の者しか通れなかったと言います。



ちなみに、この聖福寺に「芭蕉句碑」があると聞いていたので探したのですが、なかなか見つかりません。諦めかけた時、目に入ったのがこちらの句碑。名所や寺社というと、苔むしたような石碑をイメージしていましたが、真新しい句碑も見どころとして取り上げられるのですね。これはかなり盲点でした。



雨に降られてしまいましたが、「浅間神社」にたどり着きました。ここは安産の神様が祀られており、赤ちゃんの額に富士山の模様の朱印を押して健やかな成長を祈ります。この行事を初山と呼ぶのですが、まさに山登りのような急階段の参道となっていました。毎年6月30日と7月1日に初山が行われます。



続いては境内に十八羅漢像が並んでいる「常光寺」です。一つ一つお社が設けられており、とてもキレイに整備されていました。平成10年に設置されたものということで、100年後にはとても趣のある像になっているのでしょう。



このあと、あさよろず旅館(【幸せをあなたの手に!桜の時期に訪れたい「幸手市さんぽ」】でご紹介)とハッピーハンドレリーフ(【歩道に手形がズラリ!幸手市「ハッピーハンドレリーフ」&謎のイルミネーション】の記事で詳しくご紹介)を経て、「神明神社」にやって来ました。こちらの狛犬、何だか不思議な感じがしませんか?そうです、何とタニシに足を乗せているのです。別名「田螺不動尊」と呼ばれており、二つの田螺を目に見立てて、眼病の治癒のご利益があるとされています。



石柱が残されている「明治天皇行在所跡」の次は、今回の「幸手宿歴史探訪コース」のラストである「一色稲荷神社」です。幸手城の一角にあったとされる神社であり、こちらも古い狐像に加えて、新しい狐像が並んでいました。
このように、幸手では江戸時代からの旧跡に加えて新しい縁起物なども点在しており、今後ますます歴史が深まっていく地域だと感じました。

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本記事は2016年08月25日時点での情報ですので、場合によっては適用されないこともあります。あらかじめご了承ください。