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江戸時代の宿場町の面影を残す「春日部寺町ツアー」

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埼玉県春日部市は、江戸と栃木県の日光を結ぶ日光道中の宿場町として栄えました。
現在の春日部市は大凧まつりや藤まつり、そしてアニメの「クレヨンしんちゃん」が有名ですが、
今回は江戸時代の宿場町の面影を寺町という地域にスポットを当ててみることにします。



現在の寺町は、3つの町が統合して「旭町」という住所に生まれ変わっていますが、
寺町という名の通り狭い区画にお寺が密集しているのです。
春日部市には同じ読みの「粕壁」という地名があり、かつては糟壁・糟ヶ辺という文字も使用されていまいた。
そのため、春日部市内に点在している名所の看板には「粕壁宿」と書かれています。



周囲はビルに囲まれていますが、この地が「粕壁宿」であったことを示す大きな看板もありました。
江戸時代には160軒ほどの商店などが立ち並んでいたと言います。



東武伊勢崎線・野田線の春日部駅東口から日光道中を経由して寺町へと向かうところに、
とても古い旧家がありました。
ここは「永嶋庄兵衛商店」という米穀商の店であり、何と江戸の初期に創業したという老舗中の老舗です。
かつては複数の米穀商があったようですが、今ではここ一軒となりました。
建物自体は明治に建てられたものであり、屋根の上には鍾馗様という魔除けの人形が取り付けられています。



最初に見えてきた寺院が普門院です。
お寺が密集しているといえども現在の姿はかなり異なり、普門院のようにお金をかけて
立派な建物に改築しているところもあれば、昔の姿のままになっているお寺もあります。



続いては最勝院で、境内がかなり広いことから大相撲の地方巡業やサーカスが行われたこともあります。
ちなみに東京都足立区の千住を結ぶ「千住馬車鉄道」の起点にもなっていました。



さらに境内には、春日部重行の墓があります。
鎌倉時代後期の武将であり、春日部という地名の由来となった人物です。
墓の上には立派な樹木が育っており、さすが春日部の祖という雰囲気です。



成就院にたどり着きました。
こちらの寺院には巨大な仁王像が祀られており、とても迫力がありました。



妙楽院に到着したのですが、お寺というよりは民家という感じで参拝するのに躊躇いました。



最後は玉蔵院で境内には石像が多数並んでいました。
その中でも驚いたのは、顔が削がれてしまった石像です。
お賽銭や線香が置かれていることから、今も大切にされていることが分かります。
5つの寺院を回るのに30分もかからないのですが、それぞれ様子がかなり異なり面白いツアーとなりました。

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本記事は2016年08月30日時点での情報ですので、場合によっては適用されないこともあります。あらかじめご了承ください。